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高円寺阿波踊り

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「高円寺阿波踊り」は昭和32年より開催され、今や半世紀を迎える、高円寺の街を挙げての盛大なお祭りだ。

高円寺パル商店街がその発祥だが、今や高円寺全体・南北の商店街および、高南通りに設置された9カ所の演舞場で、約188団体(連)・約12,000人の踊り手が、軽快なお囃子をにあわせて踊る。

見物客約120万人を動員するその規模は、全国各地で開催される「阿波踊り」の中では、本場・徳島に次いで第2位の規模なのだとか。

墨田川の花火大会や浅草サンバカーニバルと併せて「東京の三大夏祭り」にも数えられる、都内きっての夏の大イベントだ。

高円寺阿波踊り
http://www.koenji-awaodori.com/

中野エリア

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中野といえば、中野サンプラザや、中野ブロードウェイなど、「中野」の名を冠した商業施設がおなじみの街だ。新宿まで中央線で一駅、都心から近いにも関わらず、独自の文化を育んできた「中野」は、中央線カルチャーを代表する象徴的といえる街だ。

特筆すべきは、今から40年余り前に登場した「中野ブロードウェイ」の存在だ。

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誕生したのは、高度経済成長期の最中、1966年。ビートルズ来日記念の年にもあたる。

当時、中野にまだ高層マンションがなかった時代、4階までが商業施設で、5階以上が住宅施設として建設された中野ブロードウェイマンションには、時代の最先端をいく放送作家の青島幸男や、「ザ・タイガース」の沢田研二などが好んで住んでいたという。

現在も、その利便性からか、需要が高く、40年以上経った今も変わらない人気マンションだ。

商業施設階は、中野サンモール商店街と繋がっており、家電製品やパソコンを扱うショップから、各種専門店が軒並み揃っているが、現在は漫画専門店「まんだらけ」の台頭により、いわゆる「オタク文化」を発信し続けている。実際に、JR中央線沿線には武蔵野美術大学をはじめとして美大生が多く住み、アニメ制作会社などもこの地に根を下ろしている。

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中野ブロードウェイ
http://www.nbw.jp/index.html

高円寺エリア

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高円寺といえば、何を連想するだろうか。古着屋?高円寺の阿波踊り?ロッカーの街?など。

ライブハウスやスタジオ・レコード店が集まり、ミュージシャンを目指す若者が多く住む「音楽の街」、エスニックな雑貨やレストランが多く集まる「アジアンな街」、古書店や個性的な本屋が集まる「本の街」、古着屋はもとよりファッショナブルなセレクトショップや雑貨・インテリアを扱うショップが並ぶ「ファッションの街」・・・若い人にはたまらない「青春のおもちゃ箱」みたいな街なのだ。

一時期高円寺に住んでいたみうらじゅん氏は高円寺を「日本のインド」と称したが、こんな「若さの混沌」を表したかったのかも。

実に庶民的な顔と、ニューウエーブとが合いまったような感覚を覚える街である高円寺。さらに名物の「高円寺阿波踊り」は2008年で52周年を迎える、実に半世紀を超えた街の伝統文化だが、商店街の人たちが発案して始まったのがそのきっかけだという。高円寺は、町おこし上手によっても支えられてきた街でもあるのだ。

また、北口の純情商店街などは、小さな商店街ながらもその歴史は古く、戦前から続いている。3代続く商店などもまだ残っており、人情味溢れる高円寺に住まう人のための商店街だ。

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この商店街で生まれ育った作家のねじめ正一氏や、演出家の唐十郎氏などが純情商店街の記念誌にその思い出を寄稿している。今でこそ、新興勢力のチェーン店などが増え、商店街の街並みは新しく感じられるが、数代続く精肉店が頻繁にタイムサービスを行い、質屋の軒先に誰かが愛用していたであろうエレキギターが目玉商品として飾られているのを見ると、高円寺ならではの風物詩というか、人情味溢れる機微のようなものを感じさせられる。

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高円寺純情商店街
http://www.kouenji.or.jp/index.php

阿佐ヶ谷エリア

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阿佐ヶ谷は、中央線の中でも特に静かで落ち着いた住宅街であることを感じさせる街並みだ。阿佐ヶ谷界隈には、大正から昭和にかけて三好達治や太宰治・火野葦平・井伏鱒二などの有名な文士・作家が集って酒を飲み、文学について語りあっていたという。いわゆる「阿佐ヶ谷文士村」だ。

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現在の阿佐ヶ谷は、夏には阿佐ヶ谷パールセンターを会場とする「阿佐谷七夕祭り」が開催され、秋には同じくパールセンターを中心に街中がジャズ一色のストリートに早変わりする「阿佐ヶ谷ジャズストリート」が。

『阿佐ヶ谷の街をジャズで明るく楽しいまちに』を合言葉に1995年に始まった「阿佐ヶ谷ジャズストリート」。JR阿佐ヶ谷駅前広場を中心に杉並区役所や小中学校の体育館はもちろん、神社の境内から、教会、会社のロビー、喫茶店、レストランなど阿佐ヶ谷の街中でジャズ演奏が2日間に渡って繰り広げられるのだ。

メイン会場の一つ「阿佐ヶ谷神明宮」ではかの山下洋輔氏が毎年のように熱演。荘厳な神社の中でスポットライトが煌々と焚かれた能舞台からの演奏は、なにか阿佐ヶ谷らしさを象徴している。ちなみに氏の実家は阿佐ヶ谷らしい。

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そんなエキサイティングな阿佐ヶ谷の街の顔としてもう一つ忘れてならないのは、10年前にオープンした地元の映画館「阿佐ヶ谷ラピュタ」だ。

「人と環境に優しい空間」をコンセプトに、土作りの丸い形状の外観が特徴だ。そもそもはアニメーション専門の映画館として作られた阿佐ヶ谷ラピュタは、オーナーの愛着が一杯で「どうしても映画館をやりたい」と夢や理想を込めて作られたものだ。

現在は、日本映画をベースに1週間替わりで、連日マニアックな作品が上映されているが、今や老若男女の幅広い層に支持されるようになった感がある。心地よい自然派レストラン「山猫軒」もここを訪れる楽しみのひとつだ。もはや「阿佐ヶ谷ラピュタ」は、近隣の休日にとって、なくてはならない愛すべき居場所といえるだろう。

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阿佐ヶ谷ラピュタ
http://www.laputa-jp.com/

荻窪エリア

IMG_7298-1.JPG荻窪は今から30年近くも前から東京ラーメンの街として知られている。

その反面、クラシック音楽を街を挙げて支援するなど、高い文化の香りを漂わせている。それもそのはず、荻窪は、音楽評論家で日本で初めてドビッシーを紹介したといわれる故大田黒元雄氏が住まい、クラシック音楽を中心に文化人たちの交流も活発であったのだ。大田黒氏の没後、広大な敷地を持つ屋敷跡は記念館となり杉並区が管理して「大田黒公園」として公開されている。

そして、今やクラシックの街として、定期的に「荻窪音楽祭」が開催されている。地元を挙げてボランティアや、サポーターを募り、演奏者の募集も行っている。荻窪音楽祭は「荻窪を考える会」が母体となり、クラシック音楽を通じた荻窪の街づくりを目的に、春・秋の年2回音楽祭を催している。

また、気軽にクラシックの演奏会を楽しめる場所として、名曲喫茶「ミニョン」や「邪宗門」などもある。喫茶「ミニョン」は、定期的に生演奏を聞かせてくれる本格派だ(別途要チケット)。

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荻窪音楽祭
http://www.ongakusai.com/